名詞
片岡我當
片岡 我當 は歌舞伎役者の名跡。屋号は松嶋屋。定紋は七つ割丸に二引、替紋は追っかけ五枚銀杏。初 代 片岡我當
七代目片岡仁左衛門の養子、1810–63。はじめ七代目市川團十郎の門人からその養子にまでなったが、後に離縁され、二代目嵐璃寛の門人に。その後こんどは七代目仁左衛門の門人となり、さらにその養子になって大名跡を継いだ。
(六代目)市川新之助(成田屋)→ 三升岩五郎(成田屋)→ 嵐橘次郎(伊丹屋)→ 初代片岡我當 → 二代目片岡我童 → 八代目片岡仁左衛門二代目 片岡我當
初代の養子、1839–72。はじめ四代目三桝大五郎の門人、後に二代目片岡我童の門人となり、その養子にまでなるが、三十代半ばで早世。死後36年を経た明治四十年 (1907年)、十一代目仁左衛門により「九代目仁左衛門」が追贈された。
三桝梅丸(京桝屋)→ 片岡待之助 → 二代目片岡我當 → 贈九代目片岡仁左衛門(明治四十年追贈)三代目 片岡我當
初代の四男、1858–1934。松嶋屋のお家芸「片岡十二集」の撰者。
初代片岡秀太郎 → 三代目片岡我當 → 十一代目片岡仁左衛門四代目 片岡我當
戸籍上は三代目の長男、実は養子、1903–94。実父は安田財閥の二代目総帥・安田善三郎。最晩年は盲目となりながらも舞台をつとめ、人間国宝に。
片岡千代之助 → 四代目片岡我當 → 十三代目片岡仁左衛門五代目 片岡我當
四代目の長男、1935–。当代。
片岡秀公 → 五代目片岡我當
(出典: 片岡我當 - Wikipedia)