名詞
保科氏
保科氏(ほしなし)は、武家・華族だった日本の氏族。平安時代に信濃国高井郡保科に発祥した豪族で、源平合戦時には平家物語に”保科党三百余騎”として登場する武士団に発展した。江戸時代初期に二代将軍秀忠の庶子正之を養嗣子として迎えた保科正光は、諏訪神党として南信濃高遠に移った家で、保科正之の子(三代目藩主)の代に松平に改姓して親藩会津松平家となる。一方、正光の弟正貞は別家を立て保科姓譜代大名として廃藩置県まで続く。明治にいたり両家とも華族の子爵家に列する。
(出典: 保科氏 - Wikipedia)